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今年の呑み喰い(前編)その4 [今日のメシ]

いよいよ第4回まで来ましたね.
思い返すというのも,これはこれで結構愉しい面も有りますが,
でもまぁ,やっぱりこまめに書くのがいいのかな~とも思いつつ.

前編を書いているうちに,今年後半も終わってしまったのでは意味がないのでね.

では,その4どうぞ.今回も長いです(今更言うまでもないか・・・)


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今年の呑み喰い(前半戦)その3 [今日のメシ]

前々回から,Live Writerを使って記事を作成しています.
これが,なかなか使い勝手がよいです.
少しは更新頻度が上がるといいのですが(←ヒトゴトっぽい)

まぁ,絶対的に家にいる時間が少ないからなぁ.
以前は出張先なんかでも,マメに文章を打っていたんですが,
近頃は出張先でも夜中まで仕事するのが普通になっちゃったし
(帰宅しなくて良いので,その時間分は寝られますが)
何だか年々,1日あたりに片付けなくてはいけない仕事量は増えている気がする.

何でも,それが斜陽業界というものらしい・・・・(泣)


今年の呑み喰い(前半戦)その2 [今日のメシ]

というわけで,続編である(きちんと続きを書いたのって,もしや初めてかも・・?)
さて,どこまでUPして,何が未UPなのか.

・・・判らん.

ゆえに,もしかすると写真の重複UPが無いとも言い切れない.ご了承願いたいところである.
理想を言えば,きちんと見返してCheckすべきなのだろうけれど,
とてもじゃないが,全部読み通せませんよ.1記事がこんなにも長いBlogなんて(笑)
書いたヒトの気が知れません.

ホントにもう,だから日頃から整理整頓をと・・・


今年の呑み喰い(前半戦)その1 [今日のメシ]

関西の方でMeetsっていうタウン誌があるのだけれど,
関西出身の同僚・後輩がナゼか多い今日この頃,ちらりと眺めさせてもらったのは,いつだったか.
コレが実に良くできていて,遠く離れた宮城に住む私としても,読んでいるだけでおもろい.
ついつい京阪神を歩いている気分になってくる(いつ転勤になるかもしれんし^^;)
ということで,先日,呑んだくれた勢いで,思わずネットからまとめ買いしてしまった(笑)
DSC_4886.JPG

何が良いと言って,記事の完成度・内容の充実感(濃度),そして写真である.
こんだけ笑顔写真が溢れるタウン誌って,意外とありそうで無いのである.
仙台で言えば,KappoというよりもS-Styleが近いのだけれど,
まぁ何というか.そもそも取材される側である元ネタ自体が,仙台と京阪神では色が違うんで,並列には比べられませんけれどね.
カウンタの中で満面の笑顔して,どやさ!とモツ焼き差し出すおっちゃんにツッコミ入れてるおかんと三姉妹をみて
爆笑している常連客の面々(ってか,どっちが客で店のモンか判らんし)なんて写真みせられたら,
もぅ,こっちがめちゃめちゃ幸せな気分になりますがな.
麻薬本である.
要するに関西人ってのは,笑い顔に関する(もしかしたら無意識的深層的な)ノウハウや造詣やこだわりが,
他地域と比較して,段違いに高度でプロフェッショナルでディープなのでは無かろうかと再認識した次第.

さて,それはさておき(笑)
たまっていた呑み喰いです.もう,”今月の”をやめて,”今年の”にしました.
数えたら千枚を優に超えているっぽいので,流石に数回に分けようと思いました(すこしは学習したか・・)

震災前分も込みですので(ーー;),気が向いてお訪ねになろうというかたは,最新情報をご確認のうえで...


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今月の呑み喰い [今日のメシ]

もしかすると,帰宅した回数よりも,加減燗に行った回数のほうが多かったかもしれない(笑)
一心加減燗では,震災のすぐ後から食事の提供を始めました.
最初はおにぎりのテイクアウト.そして徐々に小鉢が添えられるようになり,
お昼の日替わり定食が始められるようになり.
ガスもつながっていない中で,それはそれはさぞかし大変だったろうと思います.
だから私も,仙台に日中いられる日には,必ずお昼は加減燗に顔を出そう,と決めていました.
最初一週間くらいは,会社の中もガチャガチャで(見た目にも実務上も)
まともに昼休みがとれる状態でも無かったので,
駆け足で会社からお店まで走り,食べ終わったらまた駆け足で戻り仕事に復帰.
別に,お店の心意気をひそかに応援しようだなんて,おこがましい気持ちがあった訳でも無いのだけれど.

その時点では,まだわが家は電気もガスも水道も電話も携帯もNGで
さらには放送局の出力が抑えられていたのか中継局が落ちたのか,
塩竈方面には手回しラジオですら,かすかにしか入らなくなっており.
とにかく日々,夜が,暗闇がやって来るのが憂鬱だったんですよね.
緊急時の非常食であった筈の乾パン・・・etcは,いつの間にやら息子達がこっそり食べてしまっていたことが,今回判明(!)
息子が技術の時間につくった手回しLEDライト(これはホント助かった)と,アロマキャンドルが唯一の灯り.
(それにしてもアロマキャンドルってのは燃え尽きるのが早い^^;)

職種柄,震災後にはわが家の復興よりも社会資本の復旧が最優先というワケで
私自身,震災の翌日から,気持ちの整理もつかぬままに,復旧へ向けて走り出さざるを得ず,
同居人も職業上,震災直後から私生活を置いて,避難所で働くことが求められており,
余震が続く中,いきおい息子達も,日中は避難所生活へ.
女川の同居人の実家には連絡が取れず,安否も判らず.先がどうなるのかも判らない.
深夜に仕事を終えてから信号も街灯も無い道を通り,家族を迎えに行って無事合流できたことでホッとする日々.
家のことについても,仕事のことについても,どこから手を付けて良いのか判らない状況で,
とにかく自分自身は意識して気持ちをしっかり持っておかないと,
家族みんなが精神的に崩壊するんじゃないか,と思いつつ塩釜仙台を行き来していた頃.

おにぎりと,あったかい味噌汁だったんですよね.きっかけは.
加減燗のカウンターで,おにぎりを食べて温かい味噌汁を戴いたとき,
自分はもうこれで,被災者の側の立場はやめよう,終わりにしようと思ったんです.
被災者もいつかは普通の生活に戻っていく必要がある.
そのためには物理的にも精神的にも,取り戻すべきものが沢山あって容易じゃないんだけれど.
被災した方々に,どの時点でどうやって日常を取り戻してもらうか.被災者の立場から復帰してもらうか.
地域によっても,その時期や方法や負荷は大きく異なりますが,それは今後の大きな課題になっていくような気がします.
わが家に関しては,一応家族は無事に合流できて,戻るべき場所もある.
そして少なくとも自分は,こうやってご飯とお味噌汁を食べられる位置にいるんだから,もう被災者じゃない.
そう考えて自分の中で区切りをつけることにしたんです.
食べる,って大事ですね~本当に.特に温かいものを食べることの重み.
だから,電気もガスも水道も電話も携帯も無くても,ラジオもかすかにしか聞こえなくても何とかなるかな~と
いや,何とかしてやろうかと思いまして.
仕事の方も飛び乱れてはいたんですが,えいっと決めて日々9時には帰ることにしました.
仙石線チームは会社の車乗り合いで出勤・帰宅していたので,確信犯的に彼らも巻き込みまして(笑)
その代わり早朝,空が明るくなる前には出勤,ということにして.いずれ現場の日はそんな時間からなので.
逆に言えばせっかく家族が一緒にいる時間が夜に出来たんだから,
テレビも本も余計なものも音も何もない世界なんだから,それを愉しむ時間にしてやろうと.
止まった冷蔵庫の中にあった溶けかけの限られた食材と乾物類を使って,
仕事仲間から調達してもらった,なけなしのカセットボンベで.
毎日ささやかでも料理をつくって,暗闇の中,家族で宴会してやろうと思いまして(笑)
しかも食材には限りがあるが,お酒は腐るほどある(爆)!←家族は呑めないんで,実は殆ど個人的趣味だったのか!?
とはいえ,さすがに冷蔵庫の中の大量のお酒も,見るみる減っていきましてね.
普段,外でどんだけ呑んでるんだと,今更ながら恐ろしくなったりもして.
しかも家族は”冷蔵庫が広くなっていく”って,私の料理より,そっちの方に喜んでましたが...

でも,やっぱり本当の意味で,家族みんなの気持ちが前向きに変わったのは,電気がついた瞬間からでしたかね.
困ったことに,つくづく現代人なんでしょうね.我々はもう.

続きを読む(長くても宜しければ)...


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